8月25日(日)午後2時より、和歌山県立図書館2階で、当会の第4回セミナー『万葉びとと和歌の浦』 を開催します。
講師をお願いしている、近畿大学名誉教授 村瀬憲夫先生より、そのセミナーについての文章を寄せていただいています。
『万葉びとと和歌の浦』 村瀬 憲夫
和歌の浦は、関係各位の絶大なるご尽力の結果、平成20年(2008)6月に「県指定文化財名勝・史跡」として指定され、さらには平成22年(2010)8月には「国指定記念物(名勝)和歌の浦」として指定されました。
神亀元年(724)10月に、和歌の浦を訪れた聖武天皇は、この地の風光を愛でて「守戸を置きて荒穢せしむること勿かるべし、春秋の二時に、官人を差し遣わして、玉津島の神、明光浦の霊を奠祭せしめよ」という詔を出されました。聖武天皇のこの願いは、この地が名勝に指定されたことをもって、現代にもしっかりと継承されることになりました。
この名勝和歌の浦の、風景と心と歴史を、私たちはしっかりと受け止め、地域の活性化に活かし、そして次代を背負う若者に手渡していかなければなりません。
そのためには、この地の風景と歴史の現場を、あらためて見据え、この地で詠まれた歌一首一首をていねいに読み返してみること、すなわち原点に今一度戻ってみることが必要ではないでしょうか。
そのような意味合いをもって、来る8月25日の講座では、和歌の浦の万葉歌一首一首をていねいに読み返してみようと思います。
たとえば柿本人麻呂は、妻を亡くした悲しみを玉津島の真砂に託して歌いました。
玉津島磯の浦廻の真砂にもにほいて行かな妹も触れけむ (万葉集巻9 1799)
(玉津島の磯の浦辺一面に広がる白浜、その浜の真砂に染まっていこう。妻もきっとこの砂に触れたのだろうから)
かつて妻の触れたであろう真砂に、今自分も触れることによって、亡き妻への恋しさ、懐かしさを、わが身の肌で実感しようとしています。また人麻呂は黒牛潟(現在の海南市黒江周辺)でも次の歌を残しています。
古に妹と我が見しぬばたまの黒牛潟を見ればさぶしも (万葉集巻9 1798)
(その昔妻と二人でながめたこの黒牛潟を、今一人でながめると無性に寂しい)
妻との思い出の地に立って喪失の悲しみを歌っています。
時移って、天平2年(730)大伴旅人は赴任先の九州大宰府で、老妻を亡くし、独り都へ帰任する途中の鞆の浦(広島県福山市)で、次の歌を残しました。
鞆の浦の磯のむろの木見むごとに相見し妹はわすらえめやも (万葉集巻3 447)
人麻呂と旅人と、時も環境も身分も違えど、その悲しみを歌う心は同じです。そしてそれは現代の私たちの心にも真っ直ぐに飛び込んでくる、万葉びとの心と言えましょう。
本来は、会報に掲載するためにお願いしたのですが、こちらの不手際で、まだ発行できていません。
暑い日が続いていますが、ひと時涼しい部屋で、遥かな昔の人々の思いを感じてみませんか?
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