能・狂言、セミナーやワークショップなどのブログです。
和歌の浦万葉薪能の会ー沿革(2)
1999年10月の第1回薪能開催に感動した実行委員から、来年も上演したいという声があがりました。

そこで、2000年2月実行委員会を開催し、会の名称を公募するとともに、10月に再度片男波公園野外ステージで、能「鶴」を上演するための準備を始めます。

会の名称は、公募の結果「和歌の浦万葉薪能の会」と改め、事業の目的を「薪能の上演」「芸術文化でのまちおこし」「和歌の浦の環境保全」に決定。

そして会の広報のため、通信紙『万葉薪能』を、B5版2ページで創刊しました。

この会報は、様式を変えながら、現在58号まで続いています。

また会の運営のため、「運営スタッフ」の参加を広く呼びかけました。


薪能開催に先駆けて、能狂言や万葉についてのセミナーを4回開きます。

  5月12日 『誰でもわかるおもしろ能楽教室』 松井彬

  6月17日 『万葉人と和歌山』 村瀬憲夫

  7月29日 『能の歴史と民俗伝承』 松原右樹

  8月26日 『能面について』 久保博義


そして、本番は、10月7日(日)

 大蔵流狂言『太刀奪(たちばい)』 茂山一門

第2回万葉薪能「太刀奪」

 喜多流能『鶴』 松井彬

第2回万葉薪能「鶴」

この時は、俳句コンテストも実施され、後日「入選句・投句集」を発刊しました。

入選句・投句集

その後、新実行委員会を開催し、代表を選出して新しい組織が出来上がりました。

この時の実行委員数は、代表1名、副代表2名、事務局長1名、事務局員3名、会計1名、会計監査2名、委員21名の合計31名でした。




 
【2012.02.06 Monday 00:00】 author : 和歌の浦万葉薪能の会
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和歌の浦万葉薪能の会ー沿革(1)
お正月気分がまだ抜けきらないですね。

この時期は、総会が2月末に開かれますので、その準備は行いますが、行事としてはあまりありませんので、当会の沿革などを、何回かに分けて紹介したいと思いますので、お付き合いください。

私たちが、和歌の浦の片男波公園の野外ステージに能舞台を組んで薪能を始めてから、今年で14年になります。

片男波公園、能舞台と篝火 
組みあがった能舞台と篝火の籠です。

薪能は、平安時代に大和国興福寺の修二会の前行事として薪の神事を行い、四民安穏・厄払いをしていて、この行事が芸能化したものと言われています。

昭和34年(1959)1月、能シテ方喜多流宗家・喜多実が、山部赤人の万葉和歌『和歌の浦に潮満ち来れば、潟を無み、芦辺を指して田鶴鳴きわたる』を基に創作した能『鶴』を初演しました。

和歌の浦を訪ねた都の者が、古歌を口ずさむと一人の女性が現れて昔を語り、潮が満ちてくると、女は鶴となって大空に飛んでいくという筋書きです。

その『鶴』をご当地である和歌の浦で上演したいという有志が集まり「万葉薪能実行委員会」を立ち上げました。

公園内の鶴のモニュメント 
 片男波公園にある鶴のモニュメントです。

第1回は、平成11年10月10日、英語能を上演する『シアター能楽』のリック・エマート氏の『能へのいざない』という講演のあと、和歌浦天満宮宮司による火入れ式を行い、樹木希林さんの妹で、薩摩琵琶奏者の荒井紫水(あらいしすい)さんの『夕波』の演奏。

薩摩琵琶

そして、和歌山市在住の喜多流シテ方松井彬師による『鶴』の上演。

『鶴』松井彬

この上演は好評のうちに終了し、そのことに感動した実行委員たちの中から、来年も上演したいという意見が出され、そのための準備会を設けて、新たに上演することを決定しました。


【2012.01.08 Sunday 00:00】 author : 和歌の浦万葉薪能の会
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